[三宮タイムトリツプ]
2022.06.27
売場ニュース
昭和初期の三宮駅前
はじめて神戸を訪れる人は、どの駅で、この地に降り立つのでしょう。おそらく多くの方が「三宮」または「三ノ宮」にたどり着くのではないでしょうか。神戸のいわゆる「玄関口」は、市の名前の「神戸駅」でも県の名前の「兵庫駅」でもなく、「三宮」なのです。
三宮には、JR、阪急、阪神、ポートライナー、そして神戸市営地下鉄2線の、合計6駅が乗り入れています。1日の乗降客数は、合計70万人以上。「ターミナル駅」と呼ぶには、各々の「三宮(またはJRのみ呼称「三ノ宮」)駅」のあいだに絶妙な距離があるので、毎日多くのひとが東西南北地上地下を移動しています。
そんな三宮の中心となる交差点に建つ、曲線を描く大きな白い壁。これが、神戸阪急です。2019年秋までは、そごう神戸店と呼ばれていました。開業は、1933年(昭和8年)にさかのぼります。
「神戸の顔」として、中心地・三宮でずっと親しまれて続けている百貨店。90年間、神戸のひとたちと紡いできた物語をたどってみます。
第1回:エポック1933
ターミナル…三宮で「新しい時代」が幕を開ける!
神戸の賑わいは、明治時代、世界屈指の港から始まりました。「東の浅草、西の新開地」と称された芝居や映画の新開地、そしてハイカラ文化の象徴として「東の銀ブラ、西の元ブラ」と言われた元町。大正時代の終わりには元町の西に三越ができ、昭和のはじめに元町の東端に大丸ができます。その後、元町のさらに東、約600mにある三宮の「ターミナル化」がはじまります。
まずできたのは、国鉄(現JR)三ノ宮駅。これは画期的な「高架駅」でした。次に、既にあった阪神三宮駅が、日本最大の地下駅としてリニューアルオープンします。さらには、阪急電車が延びて、三宮駅を開業することが決まります。鉄道時代を象徴する「ターミナル」三宮のまちの誕生です。
そんな昭和8年、阪神電車三宮駅の地上に、まさに「ターミナルデパート」として誕生したのが、そごう神戸でした。
ぜひ、想像してみてください。昭和初期、まだ低層の建物だけが並ぶ三宮のまち。そこに突如現れた、7階建ての建物。なかには、7機のピカピカのエレベーター。憧れのエレベーターガールに導かれて登った屋上、その庭園から眺める、神戸の山と海。400名が入る大食堂。さぞかし「新しい時代」の幕開けを告げる象徴として、人々の目に輝いて映ったことでしょう。
かつて存在していた神戸市電と そごう神戸店(昭和40年代) Ⓒ神戸市
沸き立つ神戸のまち、現存する近代建築
神戸といえば、港。おりしも海運界は、大型船建造ブームでした。それを支える鉄鋼業も、最盛期を迎えます。1938年、神戸製鋼が株式上場。1939年、神戸市の人口が100万人を突破。神戸のまちが沸き立つ様子が、目に浮かぶようです。
そごう神戸店が建つフラワーロードには市電が走り、まちと港や税関を行き来する人々で賑わっていました。そごう神戸店の誕生と同じ年には「神戸みなとの祭」が始まり、この道を花電車や花車、懐古行列が進んだといいます。
当時、地下には映画館もあったといいます。そう教えてくださったのは、今回の取材に協力いただいた、そごう神戸店元店長の松下秀司さんと、現在も引き続き神戸阪急で総務をつとめていらっしゃる岡田徳男さん。社史をひらいて、当時の建物の写真を見せてくださいました。その写真が、本当に素敵! 当時の近代建築の粋を集めたものだったそうです。
見たい!! でも、震災で壊れちゃったんだろうな、残念……と思っていたら、松下さんから「実は当時のままあるんですよ。この、ジュラルミンの外壁の中に」とのお話。つまり、1933年に建てられた建築家・久野節(大阪難波の南海ビルディングなども設計)による煉瓦の建物を覆うかたちで、1981年に現在の外壁が作られたそうなのです。わー、見てみたい!!
「いくつか、名残があります」ということで、教えていただいた場所に行ってみました。それは、神戸阪急から地下へ、阪神神戸三宮駅に向かうところでした。
いつも通り過ぎていた、あの場所も
三宮はこれからの数年で、大きくその姿を変えるそうです。いまは6車線くらいを車がびゅんびゅん通る東西の大通りも、中央の2車線を残して広々とした歩道となり、お茶をしたり、小さなこどもたちが水遊びをしたり(大人だっていいよね)、ぶらぶら歩いたりが楽しめる空間になるようです。
そんな「未来に向かって変わり続ける三宮」のはじまりからあった、煉瓦づくりの近代建築による百貨店。地下に残るどっしりと重厚な大理石に触れると、90年前のにぎわいが、エレベーターガールの鈴をころがすような声が、ワンピースと赤い靴でおめかしした女の子がお父さんとお母さんの手を引いて食堂に向かう姿が、ふわっと甦ってくるようです。
そんな、なにかホクホクあたたかな気持ちで家に帰る途中、地下の阪神三宮駅西口改札からホームに降りたところで、気づきました。ここにも、昭和8年の煉瓦壁が、残されていました。もう何百回も通ったところだったのにな。
というわけで、変わりゆく三宮。だからこそ、昔にタイムトリップすれば、いくつもの光景が重なりあって見えてくる。それがちょっと毎日を豊かにする……かもしれない。三宮の歴史をたどる旅、ぜひもう少し、お付き合いくださいませ。
(なるのだ編集室 那珂川由)