[愛し続けるモノたち] [Hankyu Mode Kobe] [インテリア] [街のストーリー]
2022.09.16
売場ニュース
明治時代初期に開業した「永田良介商店」は、ことし創業150周年を迎える。“家具は財産である”という6代目店主永田泰資(ながたたいすけ)さんに、神戸家具(神戸を発祥とする洋家具)というものを通していかに“愛し続けるもの”を育みその文化を繋いできたかを語っていただきました。
神戸の文化・歴史は150年前の開港からはじまった。
神戸にとって開港は大きなことだった。
ハイカラと称されるいまの神戸の文化は1868年、明治になる直前の慶応年間に開港した神戸港からはじまったと言えます。私どもはその4年後の1872年(明治5年)に道具商として創業しています。ですから、ちょうどことしは創業150周年になります。そのころは居留地の外国人を相手に御用聞きのような商いの仕方で、傷んだ家具の修理をしていたようです。
日本の洋家具の発祥地、神戸。
神戸は日本の洋家具の発祥の地とされています。当時は瀬戸内の岡山あたりの和船の職人である船大工がその腕の良さを生かして家具をつくっていました。それが「神戸家具」の起こりであると言われています。船大工だけに家具を造る精度が非常に高かったんですね。
最盛期は昭和のはじめころですが、神戸に150社ほどあったと記録に残っています。
とはいえそのころはまだまだ畳に布団を敷いて寝て、卓袱台(ちゃぶだい)でご飯を食べる生活ですからね。神戸が家具の一大産地になっていった背景には御影、住吉、そして芦屋と、阪神間に洋間のある住宅が多かったからに他なりません。
芦屋にはフランク・ロイド・ライトの設計で有名な「山邑(やまむら)邸」があります。ライトが設計した家の意匠に合わせて家具もつくってあります。その「山邑邸」が阪神淡路大震災で大きなダメージを受けたのですが、ありがたいことにその家具の復刻をうちで手伝わせていただきました。オーバーハングという下層よりも上層が突き出た家のような構造になっているのですが、とにかく図面がややこしくて…(笑)それはもう大変でした。
大切なのは技術。 でも、じぶんの“彩り”を出さないと。
家業が家具の修理からはじまったというのもありますが、修理をする技術こそがうちの根幹なのです。家具はなおせなくなったら、困りますから。そこは継承していかないと。いちばん失くしてはならないのは“技術”なんです。
とはいえ、ずっと同じことを何代もやっているわけではありません。わたしは6代目ですが、それぞれの代で創業するつもりでやりなさいと教えられています。「じぶんの彩り(いろどり)を出しなさい」が先代に言われた言葉です。いまという時代は、そういうじぶんなりの“彩り”を情報としてどうやって伝えていくかが大事だと考えています。
神戸の魅力って、なんだろう。 これからは情報の伝え方が大切。
世の中では「神戸はオシャレ」「神戸なんだからオシャレ」という勝手なイメージがありますよね。それはそれでありがたいのですが、じつは“側(がわ)”はオシャレに見えていてもハッキリとした中身がないように地元民であるわたしには思えるのです。中身がないというと語弊があるかもしれませんね。意外なことに、これだと具体的に言えるものがないということです。海があって山があって、ファッション産業が栄えていて、洋菓子やレストランが有名でとイメージ先行型のまちなんでしょうね。そこをそのままにしないで、中身をキチンと育てていきたいですよね。そして、その中身をちゃんとイメージとして植え付けていく情報の伝え方がやっぱり大事になっていくと思います。
まちの新しい魅力。そこには個店も大切。
三宮はいま建設ラッシュです。阪急さんもリニューアルをされています。まちに新たな魅力ができていくのは楽しみでもありますし、新たなお客さまを呼び込むきっかけにもなりますから期待感が膨らみますよね。
ただ見方を変えると、ビルが老朽化していることもあり大規模開発をしないと、どうしようもないのです。でも地価が高いですから個人レベルではなかなか買えないです。ナショナルチェーンでないと買えないのが現実です。まちの魅力という点から眺めるとナショナルチェーンばかりじゃなくて、われわれのような個店が大事だと思います。やはり、いろんな個性的なお店が集まってこそ、まちの魅力です。
三宮の魅力×旧居留地の魅力。
かたやうちの店のある旧居留地から元町あたりは新しく住むひとが増えています。とは言え、何代にも渡って来てくださるようなお客さまも半分くらいはいらっしゃいます。三宮側とうちの店があるこの辺りの二極化というと分裂しているように聞こえちゃいますが、この二つの魅力を神戸の魅力としてどうしていくのかということが今後の課題でもあり楽しみでもあるのでしょうね。
神戸の文化は“お誂え(おあつらえ)の文化”。
神戸の文化は“舶来もの”の“お誂え(おあつらえ)の文化”なんです。だから家具なら家具で、家に合わせて選ぶのではなくて、家に合わせてオリジナルでつくっていけば良いという感覚は根付いているんじゃないでしょうか。そしてね、お客さまが意識していらっしゃらないだけで、家具を全部同じところで揃えなくてもぜんぜん良いんですよ。いろんなものを選んで組み合わせていけば良いわけです。どんな住宅であっても合わないテイストの家具なんてありません。家具というものは、生地を変えればまったく違ったものになります。そうやってつくりなおして合わせていけば良いわけです。それこそが、「世界にひとつのモノづくり」です。先ほど、情報の伝え方が大事と言いましたが、「どうつくって、どう使うのか」ということをちゃんと伝えていけばお客さまも自由にイメージしてくださると思います。
いまは“つくる責任”が問われる時代。
世界的には日本の家具の技術は高く評価されています。SDGsの時代だからというわけじゃないですが、“つくる責任”というものがあると思っています。家具の周期はだいたい20年くらいです。だからメンテナンスしないと壊れます。われわれはつくっているから、なおし方もわかっているんです。「修理をおろそかにするな」とは、先祖から言われ続けてきた言葉でもあります。つくる段階でちゃんとなおすことがわかってないといけません。それこそが“つくる責任”なんですよ。いまの若い世代は「SDGs」や「環境」に敏感です。じぶんの子どものころとは世の中がずいぶん変わってきているように思います。
でも、新しいものも好きだったりして。(笑)
使い続けることの大切さ、使い続けるものへの愛おしさのことをお話ししていますが、じぶんのライフスタイルとしては新しいものを見たり探したりもしますよ。そういうことも好きですから。そして、古いものやずっと使い続けているものも、やっぱりこよなく愛しています。たとえば、祖父が使っていたネクタイを引き継いで、いまも愛用しています。じつはもうかなり古くなっていますが、祖父のパジャマをいまだに着ています。タオル地でとても肌触りが良いのでこれだけは離せないんです。さすがにかなり傷んできましたので、妻が同じものを新しく買ってプレゼントしてくれましたけどね。(笑)
家具は財産です。
古いものをなおしながら使い続ける文化はいつまでも大事にしていきたいですね。ちゃんとなおしてちゃんと使い続ける精神は時代が変わっても残していきたいです。
ヨーロッパでは“家具は財産だ”と言われます。そうなるような家具をつくり続けたい、提案し続けたいと思います。それが「つくる側の責任」だと肝に命じています。
震災の後はとくに修理の需要が多かったと先代から聞いています。うちは修理でメシを食いはじめたのが大きいですね。財産と思っていただけるような家具をつくり修理でもお役に立ちながら、いつの時代も「いまの時代のメーカーになっていきたい」と、そう願っています。
KEITA MARUYAMAの神戸初のショップ「MAISON de MARUYAMA 神戸別邸」が神戸阪急新館3階にオープン。ここにはデザイナーKEITA MARUYAMAと永田良介商店がコラボしたチェアがある。
永田さん曰く「デザイナーのKEITA MARUYAMA氏とははじめてのお仕事でしたが、ものづくりや職人に対しての強い興味とリスペクトを肌で感じることができました。うちのチェアにKEITA MARUYAMAのファブリックをあしらうことで唯一無二の世界観を醸すことができ、とても刺激的で気持ちの良いお仕事になりました。永田良介商店として新たな一面を出せたと思っています。」
永田良介商店 神戸市中央区三宮町3-1-4
https://www.r-nagata.co.jp/index.php
(なるのだ編集室 田中有史)