売場ニュース
作家の手仕事の跡や息づかいが感じられる焼きものは、何年も前に手に入れたものでも、使うたびに新鮮な喜びを感じさせてくれるもの。そして、長い年月を一緒に過ごすうちに味わいを増してゆくのも楽しみです。そんな「付き合い甲斐のある」うつわとの出会いを求めて、神戸にほど近い兵庫県・丹波に「大雅工房」を構える陶芸家・市野雅彦さんを訪ねました。
「期待されていなかった次男坊」が、日本陶芸界の雄に
日本六古窯のひとつに数えられ、約800年の歴史をもつ丹波焼。長く庶民の暮らしに根づいてきたその焼きものは、戦後、柳宗悦や河井寛次郎など民藝の巨匠たちによって再評価され、丹波焼の名は全国に広まりました。
のどかな里山風景の中にある、市野雅彦さんの「大雅工房」
そんな丹波焼の里で、代々作陶にたずさわる家に生まれたのが市野雅彦さん。約束の時間に工房にたどり着くと、ニューヨークからやってきたという美術関係者のグループが、私たちと入れ違いに帰りの車に乗り込むところでした。のっけから「世界の市野」の存在感をひしひしと感じますが、出迎えてくださった市野さんは、にこやかで気さくそのもの。
「陶芸をやろうと思ったのはね、ほかにやることがなかったからですよ。丹波では一子相伝の伝統があって、手ほどきを受けるのは長男だけ。僕は次男坊なので、“お前は焼きものをやらんでもいい”って言われてたんです。まあ親も、2年ぐらいは大学で遊ばせてやろう、って嵯峨美大に行かせてくれましたけど、本当に何も知らずに行ったから、兄は大学に入る時点でろくろまでできていたのに、僕は土練りもできない状態。でもほかにやれることもないし、親と同じ仕事をするのが手っ取り早かったんですよね。」
大学卒業後は京都の陶芸家・今井政之氏の元で修行を積んだのち丹波に戻り、1988年に自身の工房を立ち上げました。でも独立当初は仕事の発注がなかなかなく、生活するのも大変だったとか。それでも「人と同じことをしたってしょうがない」と考えた市野さんは、大型の美術作品に取り組んではコンペに出品する、ということを繰り返しました。
原初のエネルギーが溢れ出すような市野さんの作品群。工房の一角にある展示スペースは、まるで美術館のよう。
転機は1995年、阪神淡路大震災の年。出品作が、国内最大の公募展・日本陶芸展で大賞に輝いたのです。
「あれは震災後のボランティアで忙しいさなかにつくったのが、かえってよかったんですよ。ほんまにいいものって無心から生まれてくる。いいものをつくってやろうっていう作為を削ぎ落とさないとダメなんです。ただ、グランプリは嬉しかったけども、その後、“あの受賞作のような作品で”という個展の依頼がいっぱいくるのは困りましたね。飽き性やから、依頼が来る頃には、もう自分の中でそれは終わったものなわけです。求められるものをつくっていれば、収入にはなったかもしれないけど、それは嫌でやらなかった。だから生活は楽にならなかったですね。」
土と語らいながら、自由につくる
その後も数々の受賞に輝き、国内外から注目される陶芸家となった市野さんですが、生来の自由人気質ゆえか、丹波のDNA を受け継ぎつつも、既成概念に縛られることなく自分の焼きものを追求してきました。
「僕は“ここの土じゃないとダメ”みたいなのもとくになくて、とにかくその時手に入るもの、その時出会えた土でつくるんです。土が変わると、それに応えて自分の中からも何か新しいものが引き出される、そんな気がします。」
市野家の3人のお子さんが肩を組んでいる様子を捉えた作品。無邪気な笑い声が聞こえてきそうで、心がじんわりあたたかくなります。
自らトラックを運転して土をとりに行き、その日のうちにそれをこねて成形し焼いてみる。まるで生きものを扱うように土と向き合う市野さんは、「土と手の対話」から湧き出る未知の自分との出会いを楽しんでいるようです。
「まあ自分にできることをしてるだけですけどね。手を動かして、目で見て、あとはもう瞬間瞬間の感覚。その辺は、なんとなく長くやってて鍛えられたかなと思います。丹波ってね、長い歴史の中で、いろんな焼きものを作ってきた土地なんです。 “なんでもあり”な産地なんです。だから答えもないし、自分みたいな飽きっぽい人間も続けてこられたのかもしれない。」
ひとつとして同じものがない器と、一期一会の出会いを
そんな市野さんが最近手がけるようになったのが「彦」というライン。作家性、創作性の強い作品を打ち出す「雅」ラインと、市野さんのお弟子さんたちが手がけるカジュアルな日常のうつわ「TAIGA」ラインのあいだをゆく作品群です。
市野さんが新たに放つ「彦」ラインの椀もの。
「長いこと、自分には“作品”と“日常のうつわ”っていう二足のわらじは向かないと思って、日常のうつわにはあまり手を出してこなかったけど、実はけっこう前から、こういうちょっと変わったもののアイデアはあったんです。ひとつひとつ手で形をつくっていくから、同じものはできない。カタログ販売とかネット販売には向かないのが、むしろ面白いかなって。」
この日見せていただいたのは、躍動感のあるフォルムが印象的な椀もの。見る角度によって表情が違い、料理を入れても、花を活けてもよく、ただ飾っても絵になる存在感。道具であり、オブジェでもあって、「さて、あなたなら私をどう使う?」と問いかけてくるような、そんな気がします。
これからどんな形・手法のものが生み出されるのか、市野さん自身にもまだわからないといいますが、だからこそ出会いは一期一会。
「美術品だけじゃなくて、うつわもやっぱりものを見んとわからへん。現物を見て、手に持ってみてね」
スマホやパソコンの画面越しにポチポチとものを買うのは確かに便利ですが、時にはリアルにものと向き合い、五感をひらいてその質感や気配を感じる時間を持ちたいもの。それは、作家や作品が宿すストーリーと、あなたの感性が響きあう瞬間。ものに「呼ばれる」とでもいうのでしょうか。そうやって出会い、選びとったオンリーワンなものたちは、ほかの誰でもない「あなたらしさ」をかたちづくるファクターとなっていくはずです。
神戸阪急でも、そんなストーリーのあるものとの出会いをご提案できる売り場づくりが進行中です。どうぞお楽しみに!
(なるのだ編集室 松本 幸)
1961年生まれ。嵯峨美術短大陶芸科を卒業後、今井政之氏、父・初代市野信水に師事したのち1988年に独立し大雅窯を築く(2015年より大雅工房に改名)。1995年日本陶芸展大賞、2006年日本陶磁協会賞、2011年兵庫県文化賞などの受賞歴を持ち、国内外の美術館のパブリックコレクションに作品が収蔵されている。