◎神戸酒心館 十三代目蔵元 安福武之助さん
ノーベル賞授賞式で日本人受賞者がいるときに振る舞われるお酒として名高い日本酒「福寿」。その蔵元、神戸酒心館は、創業から270年以上続く酒造りだけでなく、阪神・淡路大震災後に観光や飲食にいち早く取り組み「復興のシンボル」と呼ばれました。また、日本酒業界では先駆的なサステナブルな取り組みを進めており、灘五郷の酒蔵のなかでも独特の存在感を放っています。社長であり十三代目蔵元の安福武之助さんにとっての、未来へつなぎたい「神戸のココが好き」をお聞きしました。
サステナブルへの思いの原点は震災。
神戸のどこが好きか。うーーん、一言で言うのはとても難しいですね。小さな頃の神戸のイメージって、「港町」というのが強かったですが、いまでは、「伝統産業」という視点で見ています。神戸ビーフ、洋菓子など、神戸にはいろんな魅力があるけれど、数百年続く伝統産業である灘五郷の酒造りもある。これだけ多彩なのは神戸ならではだと思っています。
事業をする上で、私たちはサステナビリティを一番大切にしているんですが、そもそもサステナビリティを意識するようになった原点は震災なんです。震災で酒蔵が全壊し、当たり前のように続けてきた冬場の酒造りが一瞬にしてできなくなってしまった。そこから「持続可能な酒造り」ということを強く意識するようになったんですよね。現在酒造りをしている福寿蔵は、日本で初めての免震構造の酒蔵なんですが、酒造りの灯を絶やさないという先代たちの思いがそこにはあります。
震災当時、私自身は学生でアメリカに留学中でした。その日は実家から電話がかかってきて「地震が起こったけど、みんな無事だから」と。わざわざ地震くらいで電話をかけてくるなんて、と不思議に思ったのを覚えています。その後、テレビをつけたら大好きな神戸の風景が信じられないような状況になっていた。いてもたってもいられないというのが強かったですね。自分のところだけじゃなく、神戸をなんとかできないか、と。その後、留学は早めに切り上げて、日本に戻ってきました。
海外にいたからこそ、神戸や家業への思いがより強まったのかもしれないですね。創業は1751年なんですが、アメリカという国の誕生よりも古いんですよね。そうすると、私が何をしたというわけでもないけれど、留学先の友人たちからリスペクトを受ける。それだけ「長く続いてきた伝統産業」というもののありがたさや価値は、神戸にいたとき以上に感じていました。その価値が、震災で一瞬にして崩壊してしまった、それは言葉を失うような感覚でした。
全壊となった蔵の様子を見せてくださる安福さん
原動力は「地域への恩返し」。
日本酒は寒造りといって、冬の寒い時期に仕込むんですよ。震災のあった1月17日あたりは、一番冷え込む頃で、もっとも繊細な作業が必要な大吟醸の仕込みを行う時期です。その日も蔵人さんたちが早朝の作業を終えて、朝ごはんに向かうために蔵の外に出たところで震災が起こったと聞いています。酒蔵は全壊したけれど幸いにも人的な被害はありませんでした。
当時は「福寿酒造」という名前でやっていましたが、同じく大きな被害を受けた「豊澤酒造」さんと一緒に「神戸酒心館」を設立し、国の高度化資金という貸付を受けて復興、営業開始したのが1997年12月。地域の方々にもたくさん助けていただき、酒蔵だけでなく、ホールやレストランも備えた施設として再スタートしました。 日本酒業界全体の話になるんですが、売り上げのピークは私が生まれた1973年ごろで、その後右肩下がりを続け、現在では4分の1になっています。うちは酒蔵としての規模はそんなに大きくないので、どう続けていくかという危機感は震災前から先代たちの頭にはありました。あとから聞いた話ですが、震災の日は神戸市に酒蔵周辺の地域活性化事業のプレゼンに行く予定の日だったそうです。
もともと酒蔵って微生物である酵母菌を扱うので衛生管理も厳しくて、一般の方を迎え入れるのは一年に一度の灘五郷酒蔵巡りの日くらいだったんです。でも、酒造りだけではなく、蔵をもっとオープンにして実際に人に来ていただいて、そこで楽しんでいただいて、もっと好きになってもらいたい。そういうやり方にシフトしていこうとしていたところに震災が起きた。震災で大きな被害があって、すべてを失ってしまったけれど、幸いにも蔵人さんたちはみな無事だったという状況で、だからこそ、思い切ってシフトチェンジすることができたと思っています。その原動力になったのは、地域の方々のご協力や励ましの言葉でしたし、先代も「恩返ししたい」と繰り返し語っていました。
もっと地域の方々が自慢してくれるような神戸になってほしい。
社屋からは神戸という土地の豊かさのシンボル、六甲山系を望むことができる
お酒を造るには、良い米と良い水が絶対に必要なんです。私たちには、神戸市北区大沢地区の山田錦、六甲山系の伏流水である灘の宮水、そして、六甲山から吹きおろす「六甲おろし」が欠かせないんですよ。六甲山をはさんで北は生産地、南は消費地という恵まれた立地を生かして、神戸でしかできないお酒を造ることができると思っています。
20年ほど前からは海外にも日本酒を輸出していて、フランスやイタリア、ドイツなどのワインの展示会に出展しているんですが、フランスのボルドーなどのワインの銘醸地に行くと、地元の方々がその地域のワインを「自慢」に思っていることが伝わってくるんです。そういうのを見ると、日本酒の銘醸地としての神戸を、もっと地域の方々が自慢してくれるようになってほしいな、もっと好きになってほしいなというのは思っていて、そうなると、神戸はさらに魅力的になるんじゃないかなと感じています。日本酒造りを続けてきた神戸、それ以外の魅力もたくさんある神戸、そんな恵まれた土地である神戸を次の世代にも伝え、残していきたいと思っています。
震災30年のタイミングで販売される限定酒。売上は震災教育の団体に寄付される
安福 武之助
(株式会社神戸酒心館 代表取締役社長・十三代目蔵元)
1973年生まれ。甲南大学経済学部、ノートルダム大学、ニューヨーク州立大学バッファロー校で学ぶ。1997年アサヒビール株式会社入社、東京工場総務部、酒類第二部ワイングループ主任を経て(株)神戸酒心館入社、2011年代表取締役社長就任。十三代目蔵元として、「安福武之助」を襲名。