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愛すべき神戸の“かっこつけ”

◎タイムトリップ神戸 大久保かれんさん・松本浩嗣さん

(左から)「タイプトリップ神戸」発起人の大久保かれんさん、代表の松本浩嗣さん

元ラジオDJの大久保かれんさんが2013年にFacebookのグループページを立ち上げたことから始まった「タイムトリップ神戸」。70-80年代の神戸で遊んでいた人たちが当時の写真や思い出を次々に投稿していく中で次第に輪が広がり、本の出版やラジオ番組にまで発展、イベントも数多く開催してきました。発起人である大久保さんと、本の編集も手がけプロジェクトの代表も務める松本浩嗣さんにとって、これからも繋げていきたい、「神戸のココが好き」とは。

情報源は全部街だった。

松本

 : 

「タイムトリップ神戸」でなぜ70-80年代をベースにしているかっていうと自分たちがその頃の神戸を思いっきり楽しんでいたからなんです。 神戸では1981年にポートピア(神戸ポートアイランド博覧会)が開催されて、その後、新しい店が北野町にぽつんぽつんとでき始めました。その頃僕は20歳そこそこ、まさに遊び盛りですよね。まずは三宮で飲んでそれから北野町の坂を上がって夜を楽しむ。僕らにとってそれが最高にかっこええ!みたいな感じでした。その頃の神戸の街は、なんというか「わさわさ」してて。

大久保

 : 

山と海が近いっていうロケーションも含めてだけど、当時の神戸ってなかなか他にはない雰囲気で、大阪とか遠いところからみんなわざわざ来てましたよね。あと、みんなの憧れの存在もたくさんいました。モデルでもなんでもなくて一般の人なのに有名人。

松本

 : 

そうそう。街場の洋服屋や美容院の店員さんもそういう存在だった。お店のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが街の情報通で、SNSのない時代、その人たちにかっこいいお店とか美味しいお店を教えてもらいたくて、おしゃれして店に通ったなあ(笑)。「神戸の街はおしゃれしていく」みたいな空気があった。

大久保

 : 

とにかく神戸の人は“かっこつけ”でしたよね。ディスコでも、鏡で自分の姿を見ながら踊る。周りの人とノリノリで激しく踊るのは神戸では格好悪かった。“かっこつけ”の神戸。でもそれが私は大好き。ディスコに行く時はまずは喫茶店で集合、ディスコ行ったら必ずフルーツ盛りをオーダー。そういう神戸ならではの流儀があった気がする。「かっこつけでええやん」って思ってました。

Facebookで集まった写真やエピソードをもとに雑誌も出版された。

松本

 : 

ディスコも多かったけど、新しいカルチャーの店も多かった。北野のハンター坂にある「北野スキャンダル」なんか、“カフェバー”のはしりで、ほんとにみんなの憧れだったよね。市松模様の白黒タイルにサーモンピンクとペパーミントグリーンのポストモダン&アメリカンなインテリアで。

大久保

 : 

ハイカラな神戸にさらに海外のものがドサっと集まってきた時代だった。

松本

 : 

とはいえ海外や東京で流行ってるものをなんでもかんでも受け入れるのではないんですよね。僕は神戸って“セレクトとコーディネート”の街だと思っていて。ゼロから作るというよりは、独自の視点でセレクトして、それを掛け合わせて新しいコンセプトを作る。僕は神戸のそういうところが好き。自分自身の編集者という仕事も、もしかしたらどこかでその影響を受けたんだろうなと思います。

大久保

 : 

だからさらに新しいハイカラな文化が生まれて、それが憧れになり、おしゃれな人がどんどん集まってきて。そんな感じだったんでしょうね。かっこつけの店にかっこつけな人がいて。情報源も全部街。みんな街で生きてる。そんな感じだったな。

松本

 : 

そんな時に震災が起こったんですよね。

建物はいつか戻る。でも“あの店” “あの人” はどうなるんだ。

松本

 : 

当時住んでいた兵庫駅近くのマンションはゴジラが揺らしてるのか?!と思ったくらいぐわんぐわん揺れて。全壊ではなかったけど、水もガスもない日々が始まりました。当時の惨状は鮮明に覚えているけど、僕が一番印象に残っているのは震災後初めて大阪へ通勤した時のこと。3週間くらい経った頃だったかな、ようやく大阪への船が動き出して震災からはじめて会社に行くことになった。神戸の中突堤から船で大阪の港に着き、そこから地下鉄に乗り換えて西梅田の地下に出た瞬間、そこにはごく普通の日常があったんですよね。頭では当たり前だと分かっていても、神戸の惨状を目の当たりにしながらリュックかついで大阪に出てきた自分とのギャップがショックで。誰のせいでもないけどすごく悔しかったというのを強烈に覚えています。

大久保

 : 

ほんとに神戸の街はひどかったですもんね。私は実は当時入院中で、病院で被災したんです。真っ暗な中ベッドが揺れて、六人部屋だったけどベッドは全部シャッフルされてて。朝になって次々と怪我人が病院に運び込まれてきて大変なことが起こったんだなと。テレビをつけてもまだ報道されていないような状態だった。DJの仲間たちはすぐにラジオで情報を発信しはじめました。それを聞きながら自分は何をやってるんだろうともどかしい思いでいっぱいで。2週間後に退院してからは2週間休みなしで走り続けてくれた彼らに休んでもらって、毎日自宅があった新神戸から職場のメリケンパークまで徒歩で通勤しながらラジオで発信を続けました。私たちにできることは情報を発信すること。そう思って必死にやってたけど、毎日目にするぐちゃぐちゃになった神戸の街を見るのは心が潰れそうでした。

松本

 : 

あの頃は「自分たちが知ってる神戸の街並みがいつか戻る」と信じるしかなかったよね。確かにつぶれちゃった建物は、いつかはわからないけどいずれ元に戻る。でも中身はどうだろうか、変わっているやろうか、変わってないやろうか、って一抹の不安はあった。

大久保

 : 

私たちがおしゃれして通っていた神戸は建物とか外側だけじゃなかった。“あの店” “あの人”が街に繰り出す原動力でしたもんね。

これからも神戸は“セレクトとコーディネート”の街であってほしい。

大久保

 : 

あれから街はどんどんきれいになって活気もでてきました。でも震災から20年くらい経った頃かな、ふと気がついたんです。私たちの世代がだんだん街に出てこなくなってきてるなって。70-80年代に通っていた店がなくなってきて、「なんかおもしろくないな」という雰囲気が漂っていた。

松本

 : 

まさに懸念していたことが起きた感じでしたよね。

大久保

 : 

それで「タイムトリップ神戸」を立ち上げたんです。その頃ちょうど流行りだしたフェイスブックで昔の写真をみんなで投稿しましょうよ、と呼びかけました。「なんかおもしろくない」という雰囲気だったからこそ、逆に新しいものを生み出せるという時期でもあったのかもしれません。あれよあれよとメンバーが増え、1000人くらいかな。それでまた繋がりが生まれ、ムーブメントに。

松本

 : 

そこからプロジェクト化して、本まで出版して。僕はそこから関わるようになったけど、イベントとかも開催したよね。

大久保

 : 

私たちの世代が再び街に出るきっかけがつくれたらいいなという思いもあったんですよね。

松本

 : 

2023年には住友倉庫のクロージングイベントの一部としてディスコイベントを企画しました。タイトルはまさに「1970~2023 from DISCOTEQUE to CLUB, Time Trip Kobe」。70年代のディスコから2023年のクラブ音楽まで通して楽しめるような内容で。昔の音源を現代風にアレンジしたりしました。

大久保

 : 

私はずっと踊りまくりましたけど(笑)。私たち世代はもちろん、10代から70代までのお客さんが楽しんでくれました。

松本

 : 

自分たちの世代だけが楽しむようなことをやるつもりはないから、ああやって違う世代も一緒に楽しんでくれたのはほんとにうれしい。「タイムトリップ神戸」は「昔は良かった」っていうプロジェクトではない。ただ、自分たちの世代だからこそ知ってることがあって、それを今の街場で遊んでる世代とまずは共有したい。そこからもしおもしろがってくれるなら、次の楽しいことを一緒につくっていきたい。

大久保

 : 

何をおもしろがりたいか、ぜひ“セレクト”してその世代ならではの“コーディネート”をしていってほしいですよね。

松本

 : 

僕たちも自分たちがおもしろがれることしかしないしね。お互いセレクトしながら掛け合わせて一緒に新しい神戸のカルチャーを生み出していけたらそんな嬉しいことはない。そう思っています。


PROFILE

タイムトリップ神戸



2013年に大久保かれんが「70-80年代の神戸の写真やエピソードを投稿しよう」というFacebookのグループページを立ち上げたことから始まったプロジェクト。有志による実行委員会形式で運営され、70-80年代の神戸の生活文化を振り返る本の出版やラジオ番組、イベント開催など展開。世話人・代表:松本浩嗣。