売場ニュース

パンもお菓子もまちも、"変わらない"ことも大切に。

◎ドイツパンとお菓子「フロインドリーブ」3代目 ヘラ・フロインドリーブ上原さん

2024年に創業100年を迎えたフロインドリーブ。中山手通1丁目でお店を立ち上げた創業者のハインリッヒ・フロインドリーブさんは、本格的なドイツパンを日本に広めたとされる人物で、NHK連続テレビ小説「風見鶏」のモデルにもなりました。その孫娘であるヘラ・フロインドリーブ上原さんは、幼少期をドイツで過ごして以降はずっと神戸で暮らし、学び、過ごしてきた“神戸っ子”。「お店もわたしも、神戸を離れる気はまったくありません」と話すヘラさんにとって、神戸とはどのようなまちなのでしょうか。ヘラさんが体験した阪神・淡路大震災の記憶とともに聞きました。

シャッターの貼り紙に寄せられた“声”に。

阪神・淡路大震災が起こったのは、社長に就いた5年後でした。当時お店は中山手通1丁目、工場は鷹取と、少し離れたところにあったんですよ。5時47分の地震のあと、家族の無事を確認して、主人はすぐに工場に向かって車を飛ばしました。途中、火の手が上がる長田のまちを抜けて。工場では夜中からパンを焼いていますから、職人たちのことが心配でならなかったんです。工場に着くと、みんな無事だったのですけれど。焼き上がっていたパンを分け合って、寮暮らしの職人には「ひとまずなんとかして、歩いてでも実家に戻れ」と帰らせました。

1月17日はバレンタインデー間近だったこともあって、工場ではクッキーやチョコレート菓子もたくさん焼いていました。お店の中もぐちゃぐちゃに散らかってとても開くことなんてできないし、とにかく食べるものに困っているひとたちも多いだろうと、息子が通っていた小学校の避難所に持って行きましたね。

工場はライフラインがすべて止まり、店舗も建物が4度ほど傾いてしまったので、全従業員に退職金を支払って一旦休業しました。再開までに2年くらいかかるかなと踏んでいたんですが、包装紙の裏に休業のお知らせを書いてお店のシャッターに貼っていたら、訪れてくださった方や通りかかった方が「再開を待っています」「◯◯を食べたいです」とめいっぱいメッセージを書き込んでくださって、胸が熱くなりました。

それもあったからかしら。工務店さんが、ご自身の家も地震でなくなってしまったのに、うちの工場のライフラインを早々に復旧してくれたんです。店舗も補修して従業員も呼び戻して、おかげさまでその年の6月1日にお店を再び開けることができました。再開の日には全国のお客さまから届いたお祝いのお花で店先がいっぱいになって、あらためて、うちのパンとお菓子を愛してくださるお気持ちに応えていかないといけないな、味を守り続けないといけないな、と思ったことを覚えています。

お店を続けていくために、教会跡へ。

震災後間もなくお店は再開できたけれど、車でのアクセスがいまひとつ良くなかったり、東門筋から上がってきて山手幹線越しにお店を眺めたときの傾いた建物の姿から、どうしてもこのまま中山手通で商売を続けていける気がしなくて悩みました。それを主人に相談して見つけてきてくれたのが、いまお店を開いているこの旧神戸ユニオン教会です。当時はここ、廃墟だったんですよ。「お化け屋敷だ」なんて言うひともいたくらい。でも教会が見える位置に喫茶店があって、主人がしばらく毎日喫茶店に通ってここを眺めるうちに「うん、ここだったら商売がうまくいきそうだな」と確信めいたものを得たので、思いきって移転しました。

三宮駅の徒歩圏内ながら喧騒からは離れ、教会ならではの高い天井の広々とした空間のこの場所に移ってこられたことを、心から感謝しています。ショップに加えて念願だったカフェも開けて、中山手通のときには少なかった若いカップルやお友だち連れ、小さなお子さんを連れたファミリーもたくさん足を運んでくださるようになりました。敷地内に駐車場を設けられたので、車で来られるお客様もお迎えしやすいです。

お客さまにフロインドリーブの商品を買っていただけるお店は、ここと、すぐ近くの百貨店2店の3店舗だけです。2代目だった父は、口癖のように「徹底した品質管理は1ヶ所でしかできない」と言っていました。うちのパンやお菓子は、全部手作りなんですよ。工場はここに隣接するひとつだけで、機械はほとんどなく、クッキーも職人が1枚1枚型抜きしています。機械化をもっと進めようと試行錯誤したこともありましたが、風味や食感が変わってしまって、手作りのクオリティを再現できませんでした。1日に手作りできる量は決まっていますし、だから、これからも神戸以外に出店するつもりはありません。

"変わらない"ことも、すてきなこと。

わたしは、まちが好きなんです。疲れたなと感じたら、温泉より東京に行って活気に触れたいタイプです。ドイツの田舎に生まれて子どもの頃に神戸に越してきて以来、ずっと中央区あたりで暮らしているんですが、よそに出かけて神戸に戻ってくるとホッとします。サイズ感がちょうどいいのかしらね。自宅は山の方なんですが、窓を開けたら海が見えて、背後には山の緑があって、坂を下ったらまちが広がる。学生時代は通学路の坂がきつくて文句を言っていたけれど、いまは神戸の地形を気に入っています。三宮から元町にかけて華やかな百貨店もあればクラシックな洋館も残っていて、まちの雰囲気もいいですよね。

北野坂にスターバックスコーヒーがあるでしょう。あの洋館は移築されたもので、もともとうちの家だったんですよ。底冷えや隙間風で暖房がきかなかったりして住みづらかったけれど、残り続けているのが素敵だなと思います。どんどん変わっていく神戸のまちなみを見ていると、ときどき寂しさを感じることがありますね。このままでもいいじゃない、このままキープしていきましょうよって。

「フロインドリーブ」のロゴタイプも、初代の頃から変わらず続いている。

この旧神戸ユニオン教会は、あと4年で築100年になります。建物も、フロインドリーブのパンとお菓子も、これからも永く、神戸のまちで"変わらずにいること"を大切にし続けていきたいです。


PROFILE

ヘラ・フロインドリーブ上原
(フロインドリーブ会長)



1944年ドイツ生まれ。神戸海星女子学院のインターナショナルスクール「ステラマリス」で学生時代を過ごしたのち、祖父が創業したドイツパンとお菓子の店「フロインドリーブ」の商いに携わる。1990年に3代目として代表取締役に就任。2023年、社長を退いて会長に。「今でも時折、うちの店でステラマリスのミニ同窓会を開くんです」と話す“神戸っ子”。