◎熾リ株式会社 代表取締役 前川拓史さん
先鋭的な感覚でとらえたファッションを、神戸から発信し続けてきた前川拓史さん。トアウエストに風を吹き込んだセレクトショップ「乱痴気(ランチキ)」の創業者であり、阪神・淡路大震災後は兵庫県の地場産業の活性化にも取り組んでいます。物心がついたころからずっと変わらないという、前川さんの「神戸のココが好き」について、熱く語っていただきました。
ワクワクする神戸にとことん焦がれて。
生まれたのは、神戸市中央区加納町。いわゆる、“神戸のど真ん中”です。山と海が近くて、外国のカルチャーが身近で、人情味豊かな下町もある。そんな神戸に幼いころからワクワクし、僕のまちはカッコええなぁ、イケてるよなぁと誇らしく思っていました。
小学校に入学するころ、両親がマイホームを建てて北区へ引っ越しました。山に囲まれた暮らしに、正直「これも神戸かぁ…」とカルチャーショックを受けて(笑)。祖父母が王子公園の近くで食料品店を営んでいたので、その手伝いをする母に週末はくっついて行って、お客さまでにぎわう店で過ごすのが楽しみでした。
高校時代は三田市の農業高校へ通い、卒業後は列車が数時間に1本しか来ない宮崎県の田舎で大学時代を過ごしました。図らずも “神戸のど真ん中”からどんどん離れてしまったことで、イケてる神戸への憧れが強くなっていったんですよね。大学生のころはとにかく神戸が恋しくて、夏休みや冬休みになると実家へ戻り、当時アメリカの古着ブームをリードしていた「KNOCK OUT(ノックアウト)」でアルバイトに明け暮れました。
卒業後は「KNOCK OUT」に就職し、店長兼バイヤーを務めました。だんだんと自分のセンスで勝負したくなって、独立して1993年にオープンしたのが「乱痴気」です。店を構えたのは、まだトアウエストという名前がなかったころの元町駅北側エリア。家賃が安かったことと、昔ながらの中華料理屋や床屋が並ぶ下町っぽい雰囲気に惹かれて。高架下とセンター街にアパレル店が集中していた当時の神戸で、僕がやってみたかったのは、まだ珍しかった路面店。海外や東京で見た人気店をヒントに、まち並みにマッチする外観と内装をつくり、BGMにもこだわりました。
前を向かせてくれたのは人の温かさ。
阪神・淡路大震災が起きたのは、試行錯誤しながらも店が軌道に乗ろうとしていた時でした。あの日は「乱痴気」のお客さまを招き、初の新年会を予定していたんですよ。当時は妻と2人で垂水区のマンションに暮らしていて、近くでは明石海峡大橋の建設工事が進んでいました。経験したことのないドーンという大きな揺れにびっくりして、てっきり橋が倒れたんやと思ったんです。
幸いにも「乱痴気」が入っていたビルは倒壊を免れたんですが、毎日の生活がホンマに大変で。店の再開はもう無理やと途方に暮れました。一筋の光が見え始めたのは、震災発生から数週間後に大阪のフリーマーケットへ出店してから。メーカーの方々が寄付してくださった在庫品やB級品がめちゃくちゃ売れて、しばらくは仲間たちと一緒に全国各地のフリーマーケットを周り、なんとか食べていくことができました。あのころ助けてもらったたくさんの人への感謝の気持ちは、毎年震災の日がくるたび大きくなっています。
胸揺さぶられるモノづくりとの出会い。
震災を乗り越え、東京にも店舗を広げた「乱痴気」は経営が上向き始めました。でも、時代が目まぐるしく変化する中で、このままでええんか?と自分の足元を見つめ直してみたんです。そしたら、地域のライフスタイルに合ったモノに価値や魅力を感じるようになって、神戸や兵庫のモノづくりに目を向けたくなりました。
長田区の靴、西脇市の播州織、豊岡市の鞄……調べていくと、兵庫にはカッコええモノづくりがたくさんある。クオリティの高さにも気付かされました。同時に、地域で完結するモノづくりや神戸のローカルブランドをつくることに挑戦したい気持ちが芽生えて、2009年から本格的に産地の職人さんたちと商品開発をスタートさせました。
いろんなモノづくりと向き合ってきた中で、ひとつの転換点となったのが「神戸ザック」との出会い。約半世紀もの間、登山家やハイカーに愛されてきた先代の技術に僕も惚れ込み、別注品をお願いしたりお付き合いが続きました。
「神戸ザック」のDNAを絶やさない。
そんな「神戸ザック」が後継者不在で廃業寸前にあると聞いて、「僕がやります!」と手をあげました。いくつもの産地で、いい技術があるのに継ぐ人がいない地場産品や、技術者の高齢化でやむなく閉じてしまう工場を残念な思いで見てきたので、「神戸ザック」は守りたかったんです。
全工程が手作業で行われるザックづくりの技は、僕が非常勤講師をしている神戸芸術工科大学の卒業生が受け継いでくれました。長田区に構えた工房兼ショップで製造・販売し、新商品の開発にも励んでいます。
神戸ザックのオリジナルブランド「IMOCK(イモック)」
震災復興でよく話題になる長田区ですが、商店街は過疎化の道をたどっています。その一方で、家具職人や靴職人の若者が集積してきている。生まれつつある新たな流れを「神戸ザック」が牽引したいと考えているんですよ。たとえばオープンファクトリーを開催し、いろんな製造現場を一般の人に見学してもらうとか。
モノをつくって売ることも大事だけれど、職人さんの熟練技や情熱を傾けてつくっている姿にこそ価値がある。そのことを、多くの出会いを通して教えてもらいました。僕の経験を生かして長田のまちをおもしろくできればうれしいですね。
イケてる神戸への愛情はつづく。
モノづくりと本気で向き合うために、何度も現場に足を運び、職人さんたちと膝を交え、作り手の思いや産地の今を肌で感じてきました。これは「KNOCK OUT」でバイヤーをしていた時に、アメリカの買い付けでやっていたことと同じです。若いころに培った、魅力あるものを発掘するアンテナや伝える力を地場産品事業にも生かしてきました。なかでも「ビームスジャパン」とのコラボ商品は反響が大きくて、産地に活気を呼び込み、後継者不足の解消にもつながっています。
2024年からリニューアルした神戸ポートタワーの運営を任されました。館内のセレクトショップ「熾(イコリ)」では芸工大の教え子が店長を務め、兵庫県の地場産品や「神戸ザック」を販売しています。神戸のシンボルであるポートタワーを、兵庫をはじめとする日本のモノづくりの情報発信基地にしたいんですよ。
神戸ポートタワーの2階にある「熾」には、神戸ザックを中心に兵庫の地場産品が並ぶ
神戸で長くビジネスを続けてきた原動力ですか? やっぱり、カッコええ神戸、イケてる神戸への愛情です。この先も愛情を向け続け、僕の好きなイケてる神戸を次の世代へつないでいきたいと思います。
前川 拓史
(熾リ株式会社 代表取締役)
1967年神戸市生まれ。大学卒業後にセレクトショップ「KNOCK OUT」に入社し、店長兼バイヤーとして活躍。退職後、「乱痴気」をオープンし、店舗運営の傍ら、音楽やアートイベントのプロデュースなども手掛ける。2009年より兵庫県下の地場産業との商品開発やブランドプロデュースなどをスタート。2020年には「神戸ザック」を事業承継した。