◎帽子専門店「マキシン」3代目 渡邊百合さん
阪神間で育ち、「中学生の頃から、友だちと連れだってセンター街からトアロードにかけてを歩き回るのが大好きでした」と話す渡邊百合さん。渡邊さんが3代目社長を務めるマキシンは、1940年に東門筋で創業し、1954年からトアロードに店舗を構える、神戸の老舗帽子専門店です。渡邊さんは2代目だった夫・浩康さんの急逝を受けて、1992年に社長に就任。就任から間もなくのときに起こった阪神・淡路大震災のこと、そして幼い頃から渡邊さんの目に映ってきた神戸の「ココが好き」について伺いました。
小さなおにぎりを10個ほど握って、会社へ。
あの日のことは忘れもしません。ゴーッという地鳴りで目が覚めるやいなや、飛行機が墜落したかと思うほどのドーンという大揺れ。とんでもないことが起きたことだけは、はっきりわかりました。家族の無事を確認して、すぐに隣の家を訪ねました。老婦人が一人暮らしをされていたんです。夜明け前でしたが近所のみなさんも「何があったんだ」とぞろぞろと外に出てこられていて、「ここに人がいます!」と伝えると、若い方が家の中に入って彼女の安否を確認してくれました。
会社のことが気になってしかたがなくて、7時40分頃に娘と一緒に家を出発しました。食べるものに困ることは目に見えていたので、炊飯器に残っていた前夜のごはんで小さなおにぎりを10個ほど握ってね。ふだんだと車で30分もかからないけれど、その日は2時間かかりましたよ。道路の陥没をすり抜けたり、道中にある社宅に住む社員を訪ねたりしていたら。会社に着いてトアロードから阪急電車の高架を見ると、線路が垂れ下がって、枕木が全部見えていました。
震災直後のことを綴った手記
スマートフォンもSNSもない時代で、電気が止まってテレビだって点きません。ラジオからもまだ仔細な情報は流れてこないし、電話もほとんどつながらない。自分の目で見たこと、耳で聞いたこと、肌で感じたことをつなぎ合わせていろいろなことを判断していかなければなりませんでした。
途方に暮れている暇なんて、ない。
店舗側のビルのガラスが9割方落ちてテントが破けていたり、1階のトアロード本店はもちろん、3階の工房も棚が倒れて何もかもが床に散らばっていました。呆然としましたが、途方に暮れている暇はありません。震災は異常事態でしたが、それは神戸だけのことで、ほかは通常に動いています。数日後に控えていた展示会キャンセルのご連絡、全国の百貨店への帽子の納入の手配、あとはそうそう、3月に一括での納品を控えていた全日空の客室乗務員の制帽4,000個の製作と仕上げに、スタッフ総出でしばらく明け暮れました。自分の家が被災してお風呂だってままならない状況だったのに、水の入手先を確保してヤカンの蒸気を使って帽子を加工してくれたり、みんなが知恵を絞って品物を出すことを考えてくれたんです。
トアロード本店は震災2ヶ月後の3月に半分再開、4月初めにフルオープンしました。まちを明るくしたい気持ちと、生活必需品でない帽子を販売することへのためらいで、これもみんなで何度も話し合いましたね。マキシンは早々に再開しましたが、トアロード全体の復興には3年くらいかかったと思います。
震災後は一時期、本社機能を東京支社に移していたこともあったんです。でも、マキシンとして神戸を離れることを考えたことはないです。マキシンの帽子作りは、ここ神戸で80年以上培われた職人技術があってこそなので。製作技術をもったマイスターをはじめ全員移動してもらうのは、まったく現実的でありません。
トアロードで感じた港町・神戸。
マキシンが本店と工房を構えるトアロードは、中学生の頃からの馴染みのある場所です。よく、友だちと連れだってセンター街からトアロードにかけてを歩き回っていました。昭和30年代のトアロードには異国情緒があふれるモダンなお店が立ち並んでいて、中学生の限られたお小遣いから舶来品のちょっとお洒落な小物——髪留めやグリーティングカードを選ぶのが楽しかったです。銀食器屋さんにあった本物のシルバーのブレスレットチャームもよく集めていました。フェイクじゃないというのが、乙女心に響いたんですよ。
道ゆくひとたちも国際色が豊かだったし、お店のショーウィンドウもその国の文化を発信していて、まちを歩いているだけでワクワクしました。いまではメジャーになったバレンタインやハロウィンというイベントに触れたのも、ショーウィンドウのディスプレイが最初。わたしはイースター(復活祭)がとくに好きでしたね。復活を祝うディスプレイの可愛らしさや晴れやかさに目を奪われました。
まさか嫁ぐことになるとは露にも思っていなかったけれど、マキシンにも大きなショーウィンドウがあって、この写真のようにお洒落をしてデートを楽しむハイカラな大人に憧れたりもしました。
本物の美意識を教えてくれたトアロード。
スーパーブランドの新作がどうとか流行がどうとかはいったん脇に置いて、たとえば、自分の背丈のバランスに似合うものを着る、何もかもをブランドものでまかなうよりも自分に合った一つを本物で取り入れるといった美意識も、トアロードに足を運ぶなかで身につきました。そういうことが、外国の方はほんとうに上手ですから。
買い物しながら外国人の店員さんに「Excuse me」とひと言プラスするだけで、「そうそう、これはね……」と会話が拡がっていくんです。いまの人はSNSや検索ですぐに調べてしまうけれど、本物を教えてくれるのはやはり“本物のひと”だと思いますよ。お店のひとと会話する力が素敵なものを見つける力になって、本物を見抜く審美眼につながっていくんじゃないかしら。
昭和30年代のマキシンの帽子、今でもデザインが色褪せて見えないでしょう? それは、流行とはちがう次元でモードを追求してきたからだと思うんです。流行は時とともに移り変わりゆくけれど、本物のファッションやお洒落は、時を超えられるんですよ。これからの神戸を担うひとたちにも、ぜひ本物を見つけて、触れて、追求していってほしいですね。
渡邊 百合
(マキシン代表取締役社長)
1945年生まれ。小中高の12年を小林聖心女子学院で過ごしたのち、神戸海星女子学院のインターナショナルスクール「ステラマリス」に進学して国際色豊かな学生時代を過ごす。神戸海星女子学院大学仏学科に在籍。1970年、帽子専門店「マキシン」創業者の息子で2代目社長の渡邊浩康さんと結婚。EXPO'70博覧会協会万国博ホステスサブリーダーエスコートガイド。1972年、札幌オリンピックコンパニオンリーダー。1992年、浩康さんの急逝に伴って代表取締役社長に就任。