英国・湖水地方『ピーター・ラビット』ゆかりの地、「ヒル・トップ」(後編)

英国の1年を、時候に沿ってお届けする【英国365日】。

5月は、英国の湖水地方にある『ピーター・ラビット』ゆかりの地、「ヒル・トップ」について。

英国バッキンガムシャー州在住で英国政府公認ブルーバッチ観光ガイドの木島・タイヴァース・由美子さんにお話いただきます。

〈前回の記事、【英国・湖水地方『ピーター・ラビット』ゆかりの地、「ヒル・トップ」(前編)】はこちらから〉

それでは、木島さんの#英国ライフ・コラムをお楽しみください!



世界中で愛されている『ピーター・ラビット』。その作者であるビアトリクス・ポターが晩年を過ごした「ヒル・トップ(Hill Top)」が湖水地方にあります。

物語のイラストとして描かれている場所が、敷地内には数多く点在しています。

写真:(左)階段を登り切ったところにある踊り場。『ひげのサムエルのおはなし』に使われた。(右)サムエルがめん棒を盗み、その踊り場を通り抜けて住処に持っていくところ。


『こねこのトムのおはなし』では、ヒル・トップの玄関が描かれています。ビアトリクスの遺言により、ヒル・トップは当時のままの状態で保存されています。


写真:(左)現在の玄関口。ビアトリクスがいた時と変わっていない。(右)玄関口に立つビアトリクス・ポター。©National Trust Images


『こねこのトムのおはなし』で、お茶会に友人を招くシーン。お母さんの「タビサ」が、おしゃれ着を着せられた子猫たちに、「トーストを焼く間、庭で遊んでいらっしゃい。でもお洋服を汚してはいけませんよ。」と子猫を見送る時に、この玄関が登場します。


写真:お母さんに見送られて玄関を出る子猫のトムたち。©National Trust Images


家の向かい側は、ビアトリクスが住んでいたころの菜園が再現されています。そこには、えんどう豆、ジャガイモ、キャベツなどが植えられていますが、私が今回訪れた3月にはルバーブの葉が地面を覆っていました。雑草を綺麗に取り除くのでもなく、また木の剪定もしていない菜園ですが、それがまたビアトリクスらしくて訪れる人に安らぎを与えています。


写真:(左)建物の向かいの菜園にはビアトリクスの菜園が再現されている。(中)『あひるのジマイマのおはなし』、菜園でジマイマが卵を隠す場所を探しているところ。©National Trust Images (右)ピーターがうっかり入り込んでしまったマグレガ―さんの畑を思わせる道具も、菜園に置かれている。


この他にも、ビアトリクス・ポターが作品のイラストに使ったインテリアや家具が、ヒル・トップには数多く残っています。


ではここで、館長の「ドクター・アリス・セイジ」さんからお話を伺いましょう。

写真:アリスさん


木島:ここではいつから館長をされているのですか?

アリスさん:18ヶ月前からです。


木島:それまではどこにいらっしゃったのですか?

アリスさん:エジンバラの「子供史博物館」や、「ヴィクトリア&アルバート博物館」です。私は児童書やドールハウス、また女性史に興味を持っていますので、これまでその分野で働いてきました。


木島:ヒル・トップにも素晴らしいドールハウスがありますね。

アリスさん:そうです。そのドールハウスの中にある家具や調度品などは、ビアトリクスの最初の婚約者であったノーマン・ウォーンが、ロンドンの玩具専門店の「ハムリーズ」で購入したものです。

ビアトリクスの作品『2ひきのわるいねずみのおはなし』の中で、主人公のトム・サムが切っているハムやナイフ、フォークは、ノーマンがこのドールハウスのために購入したものです。このドールハウス自体は、1930年にホークスヘッド(湖水地方にある小さな村)に住むアメリカ人の友人レベッカ・オウエンが所有していました。ビアトリクスはこれを大変気に入って、彼女から買い取りました。


写真:(左)ドールハウス (右)ドールハウスの中にある、本物そっくりのミニチュアのハムを切ろうとしているネズミのトム・サムと妻のハンカ・マンカ。©National Trust Images


木島:アリスさんは女性史についても興味をお持ちですが、その観点から見たビアトリクス・ポターはどういう女性でしたか?

アリスさん:とても興味深い女性です。当時、彼女が生まれた上位中産階級の女性は、キャリアを持つことはほとんどありませんでした。階級が同じ、またはそれ以上の階級の男性と結婚するか、年老いた両親の世話をするか、の選択しかなかった時代です。彼女は階級が違うという理由で両親に反対されたにもかかわらずノーマン・ウォーン(※)と婚約していました。

また、生活のために収入を得るなど、この階級の女性にはもってのほかと言われた環境で、自立することに努力しています。また彼女はビジネスにかけても先見の明を持っていました。有名になるにつれて、『ピーター・ラビット』や他のキャラクターのグッズが出回っていくと、ティーセットやゲームなどの特許も取っています。

(※ノーマン・ウォーン:ビアトリクスの本を出版することに同意した、フレデリック・ウォーン社の社長の息子。ビアトリクスとノーマンは39歳の時に婚約したものの、ノーマンはその直後に白血病で他界。)


木島:ヒル・トップは非常に人気で、現在は入場を時間制にしていますが、冬は閉館ですよね。時間制にするほど訪問客が多いのに、なぜ閉館するのですか?

アリスさん:ハイシーズンには多い時で一日に500人以上が訪れます。ほこりを払うというような簡単な掃除は毎朝しますが、カーペットを取り除いたりするような大規模な清掃は、冬の閉館期間に行います。ナショナルトラストの一番の目的は保存です。保存のための処置や調査もしなければいけませんので、開館時より忙しいくらいです。ですから冬に閉館することはとても大事なことなのです。

写真:冬のヒルトップ(Courtesy of Dr. Alice Sage)


木島:訪問客は英国人を除いてどこの国の方が多いのでしょう?

アリスさん:アメリカと、日本の方々が多いですね。


木島:アリスさんが個人的にお好きなビアトリクス・ポターの作品は何ですか?

アリスさん:難しい質問ですね。(しばらく考えてから)ひとつ選ぶとしたら、『まちねずみジョニーのおはなし』でしょうか。

「One place suits one person, another place suits another person. For my part I prefer to live in the country, like Timmy Willie.(ある人はある場所を好み、またある人は別の場所を好みます。私はどちらかと言えば、田舎が好きです。ティミー・ウィリーのように。)」という文章が載っている本です。


木島:私も初めてその言葉に出会った時から、とても印象に残っています。

ところで、自然を保護したいというビアトリクス・ポターが、ヒル・トップの今の賑わいを知ったらどう感じると思われますか?この地域が観光地化されることを懸念したでしょうか?

アリスさん:彼女はこの自然をこのままの形で保存したいと思っていましたが、観光客の重要性も知っていました。ですからユー・ツリー・ファーム(Yew Tree Farm:ヒル・トップ近くの農場)を購入した際に、そこでティーショップもオープンしています。彼女は優れた実業家でもあったのです。


木島:ヒル・トップは、特に彼女自身が使ったものなどが集められていますが、ビアトリクスはここをどのような場所にしたかったのでしょう?

アリスさん:彼女の希望は、ここをビアトリクス・ポターの記念館にしたかったのだと思います。彼女は実際にここに住んだことはありませんが、ヒーリスと結婚して2週間後に、ここから見える「カッスル・コテージ」に住み始め、しょっちゅうヒル・トップにやってきていました。ここで執筆も行いました。そしてヒル・トップをナショナルトラストに寄贈する際には、「このままの状態で残してほしい。」という条件をつけたのです。


木島:ヒル・トップでビアトリクス・ポターが気に入っていた場所はどこだと思われますか?

アリスさん:白いゲートを入ってから家に続くスレート(粘板岩)の小道ではなかったでしょうか?


写真(左)『まちねずみジョニーのおはなし』 (右)ヒル・トップの玄関に続く小道


木島:アリスさんご自身が好きな場所はどこですか?

アリスさん:中に入って最初の部屋である玄関ホールと、ウィリアム・モリスの壁紙「デイジー」が貼られた寝室です。私の愛猫の名前がデイジーですので、いっそう愛着がわきます。彼女はヒーリスと結婚後は、ほとんど「カッスル・コテージ」に住んでいましたので、このベッドルームを使うことはありませんでしたが、ベッドの天蓋のベッドカーテンはビアトリクス自らの刺繍が見られます。


木島:アリスさんのヒル・トップに関するこれからの展望を教えてください。

アリスさん:やりたいことは沢山あります。例えば「新しい部屋」と呼んでいる部屋を、ビアトリクスのオリジナルのイラストなどを集めた部屋にしたいと思っています。

またオンラインでは、3Dを使ってヒル・トップをリアルに感じていただくような仕掛けも考えています。


木島:最後にエピソードなどがありましたらお聞かせください。

アリスさん:エピソードと言うのではないかもしれませんが、雪が積もったある冬の朝に出勤した時のことです。雪の上にアヒルの足跡が付いていたのです。きっと「あひるのジマイマ」の足跡に違いない!と思ってしまいました。


写真:(左)17世紀の湖水地方製のベッド (右)アリスさんが撮影したアヒルの足跡(Courtesy of Dr. Alice Sage)


木島:もしかしたらジマイマは、毎朝見学者が来る前に、ここを歩き回っているのかもしれませんね。でもそれがごく自然に感じられます。ヒル・トップは正にビアトリクス・ポターのお話が現実の世界になってるような場所ですね。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。



ビアトリクス・ポターがいなかったら、そして『ピーター・ラビット』の誕生がなかったら、もしかしたら今頃ヒル・トップの近くにはホテルが立ち並び、多くの自然が破壊されていたかもしれないな…。そう考えると、彼女の作品に登場する動物たちがなんだかとてつもなく偉い動物に感じられるのは、私だけでしょうか?

<木島・タイヴァース・由美子 プロフィール紹介>

英国政府公認ガイドとして30年以上にわたって英国全土の観光案内をする。

2015年に英国の文化に特化したツアーの企画、アドバイスを専門に扱うカルチャー・ツーリズムUKを設立。

現在は観光ガイドの他に毎月英国の観光、文化に関してのオンライン・トークを実施している。

バッキンガムシャー州で夫、愛犬の3人暮らし。

その他、雑誌や新聞に寄稿。著書に『小さな村を訪れる歓び』『イギリス人は甘いのがお好き』がある。

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